プロフィール

バイオグラフィ

田中茂に夢を尋ねると、彼はニコッと微笑んで言った。
「僕の夢は、暖かい音楽が聞こえてくる絵を描くことです」

田中茂は、1970年、岐阜県の2つの大きな川に挟まれた田園が広がる町に生まれた。
夏は水路でザリガニを取り、冬は伊吹山が運ぶ雪で遊んで育った。
また、子供のころから絵を描くのが好きで、12才の時に油絵を習った。
そんな彼は高校卒業後、父親の跡を継ぎ、建築塗装職人となった。
外壁にペンキを塗った経験は、絵画で調色や配色に役立っている。

また、彼は若い時に劇団に所属した。
その時に、俳優としてミュージカルに出演したり、大道具の背景画を描いた。
総合芸術と言われる演劇に関わった経験は、彼の絵に影響を与えている。

実は、田中茂が本格的に絵を描き始めたのは、それから随分と時間が経つ。
彼は2021年パンデミックの夜、スケッチブックに娘をデッサンした。
それがきっかけで彼は絵に夢中になった。

そして、彼は、独学で絵の勉強をする中で2人の先生を見つけたと言う。
1人目の先生は、葛飾北斎。浮世絵とダイナミックな構図を学んだ。
2人目は、レオナルド•ダ・ヴィンチ。黄金比率と遠近法を学んだ。
そんな彼に、寝る間を惜しんで、何故を絵を描くのか聞いた。
すると彼は迷うことなく
「絵は、僕の使命です。・・見つけちゃった感じ」
と笑って答えた。
刷毛と筆の二刀流で田中茂は、世界のキャンバスに暖かいメロディーを描くことを夢見ている。

略歴

略歴

田中 茂たなか しげる

1970年(0歳)岐阜県羽島市に生まれる
1982年(12歳)小6のときに1年間、油絵を習う(師太田京子)
1989年(19歳)県立岐阜農林高等学校農芸化学科卒業
田中塗装店(家業を継ぐ)
2009年(39歳)心臓ペースメーカー植え込み
2011年(41歳)小さな親切実行章受章(学校の塗装ボランティア)
2015年(45歳)東久邇宮記念賞(東北震災ボランティア)
2020年(50歳)塗料報知新聞「ペンキ屋日記」執筆36回連載
2021年(51歳)人物デッサンを僕流で始める

受賞歴

2021羽島市美術展(大賞:市展賞)
2022全日本アートサロン絵画大賞展(入選)
2022日美展(国際文化カレッジ賞)
2022日美展(優秀賞・岐阜新聞放送賞)
2022ぎふ美術展(大賞:ぎふ美術展賞)
2023日白会展(入選)
2023羽島市美術展(大賞・市展賞)
2024白日会展(入選)

個展・イベント

2023銀座 新井画廊(個展)
2023吉野画廊(個展)
2023ニューヨークにて展示
2024ル・サロン展フランス(入選)

書籍

2023美術名典(芸術新聞社)
2023美術界データブック(生活の友社)
2023現代日本の美術(美術の窓)
2024アートメゾン・スペイン(麗人社)

美術名典(芸術新聞社)
美術界データブック(生活の友社)
現代日本の美術(美術の窓)

美術名典2024に掲載されました。

書籍芸術新聞社 現代美術家総覧

取り扱い画廊

有限会社 吉野画廊
岐阜市吉野町3丁目10番地
TEL 058-265-1023

動画

「唐草草創期」 インタビュー
油絵の制作(Oil printing)
美術の駅(ギャラリーステーション)
ガロウdeライブ 田中茂個展

活動紹介

ル・サロン入選(パリ)
(2024年2月14日-18日)

ニューヨークにて展示
(2023年7月25日-29日)

吉野画廊 田中茂展
(2023年4月9日-15日)

銀座 新井画廊 個展
(2023年1月)

熊本震災ボランティア活動
2016年5月~2017年10月(10回活動)

田中は、震災で屋根の瓦が大変なことになっていると知り、ブルーシートを積んでトラックを走らせた。
「こぎゃんなってしもうて」と屋根を見上げる人たちが沢山いた。
その後、毎月ボランティアにでかけた。

2016年5月、熊本震災で瓦が落ちていると知り、ホームセンターでブルーシートを山ほど買って、トラックを走らせました。(岐阜から高速で12時間)
被災者の方から「多分この家は解体することになるかも」と躊躇していました。
「そんなことは関係ありません」と瓦が散乱した屋根に上がって10m四方のブルーシートを風と戦いながらボランティアの仲間と張りました。
その後、毎月出かけて瓦礫出し、仮設にお絵描き、阿蘇山の絵をプレゼントなどの支援。
2016年5月~2017年10月にかけて、計10回ボランティア活動を行いました。

東北復興ボランティア活動
2011年4月~2012年10月(15回)

「これどうすっぺ?」と部屋の中に散乱したドロドロの畳を恨めしそうに見るお母さん。
夕方、作業を終えて帰る時、手を合わせ涙を浮かべながら「ボランティアさん、何もかんも流されちまって、あげられるもんが無くて」と。
田中は、お母さんに「僕たちはもう、沢山いただきましたよ」って答えた。

2011年4月、赤十字に寄付した支援金が被災者の元に届いていないと知り、「じゃあ、僕が行って泥出しをしてこよう」と、会社のトラックにスコップとテントを積んで石巻市に向かった。岐阜県から宮城県までは高速で14時間。
「朝、畳の上に溜まった泥を見ながらに途方に暮れていたお母さんが、夕方、ありがとうとドリンクをくれた」その笑顔に「ボランティアさせて頂きありがとうございました。」って答えた。
それから毎月出かけて、家屋の泥だしや、仮設の引越し、子供のケアなどを行った。
以降は、友人を連れ東北観光ボランティアツアーを開催。
2011年4月~2012年10月にかけて、計15回ボランティア活動を行いました。

ボランティア

熊本震災ボランティア活動

2016年5月、熊本震災で瓦が落ちていると知り、ホームセンターでブルーシートを山ほど買って、トラックを走らせました。(岐阜から高速で12時間)
被災者の方から「多分この家は解体することになるかも」と躊躇していました。
「そんなことは関係ありません」と瓦が散乱した屋根に上がって10m四方のブルーシートを風と戦いながらボランティアの仲間と張りました。
その後、毎月出かけて瓦礫出し、仮設にお絵描き、阿蘇山の絵をプレゼントなどの支援。
2016年5月~2017年10月にかけて、計10回ボランティア活動を行いました。

東北復興ボランティア活動

2011年4月、赤十字に寄付した支援金が被災者の元に届いていないと知り、「じゃあ、僕が行って泥出しをしてこよう」と、会社のトラックにスコップとテントを積んで石巻市に向かった。岐阜県から宮城県までは高速で14時間。
「朝、畳の上に溜まった泥を見ながらに途方に暮れていたお母さんが、夕方、ありがとうとドリンクをくれた」その笑顔に「ボランティアさせて頂きありがとうございました。」って答えた。
それから毎月出かけて、家屋の泥だしや、仮設の引越し、子供のケアなどを行った。

以降は、友人を連れ東北観光ボランティアツアーを開催。
2011年4月~2012年10月にかけて、計15回ボランティア活動を行いました。

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